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ゆとり3.0

実験ブログ-WEBとシェアハウスと時々せんぺろ-

【TED】「内向的な人が秘めている力」スーザン・ケインのスピーチ(書き起こし)

ストレスハック 書き起こし TED

f:id:im0man:20150313171126j:plain 会社や学校では社交的で積極的な人が評価されがちです。それは、上司や先生からすれば「評価し易いから」でしょう。それに対し、スーザン・ケインは内向的な人ほど力を秘めているといいます。その理由はなんなのでしょうか?以下、スーザンのTEDでのスピーチを書き起こしました。

本当は静かに本を読んでいたかった

[スーザン]

9歳の時初めてマザーキャンプに参加しました。母はスーツケースいっぱいに本を詰め込んでくれましたが、私にとってはごく普通のことでした。私の家では、読書が主なグループ活動だったからです。非社交的だと思うかもしれませんが、私たちにとっては、それが一種の交流方法だったのです。家族が揃っていて、人の温かみを身近に感じながら同時に心は冒険の国を好きに飛び廻らせることができるのです。キャンプというのはそれの、デラックス版なんだと思っていました。

10人の女の子が山小屋でお揃いのパジャマを着て、楽しく一緒に読書するのを想像していました。でもキャンプはいわばアルコール抜きのどんちゃん騒ぎでした。キャンプ初日に世話役の人が私たちを集めて、チアを教えました。キャンプの精神が身につくよう、これから毎日やるんだと、こんな感じです。「R-O-W-I-D-E(騒がしく)、これがROWIDEの綴り方。ROWIDE、ROWIDE、さあ騒がしくいこう!」

ええ。どうしてこんなに騒がしくするのか。まったく訳がわからなかったし、なんで間違った綴りを言わされるのかも分かりませんでした。それでもチアを覚えました。他のみんなと一緒に一生懸命やりました。心の中ではひたすら早く解放されて本を読みたいと思いました。でもスーツケースから本を取り出していたら、部屋で一番イケてる女の子が来て、「なんでそういつも物静かにしてるわけ?」と言いました。物静かというのは確かに、ROWIDEとは反対ですね。その次に本を読もうとした時には、世話役の人が心配顔でやってきて、キャンプの精神を繰り返し、みんなめいいっぱい活動的にやらなければいけないと言いました。それで私は本を読むのをやめて本をスーツケースの中に戻すとベッドの下にスーツケースを押し込んでキャンプが終わるまで本はずっとそこにありました。そのことで何か罪悪感を感じました。本たちが自分を必要としているように思え、私を求めているのに見捨ててしまったように感じました。でも夏の終わりに家に戻るまで私は本たちを見捨ててスーツケースを開けることはありませんでした。

今回はサマーキャンプの話をしましたけれど、50個くらいある似たような体験のどれでもよかったんです。静かで内向的なのは正しくない。もっと外向的な人間として認められるよう努力すべきだというメッセージをいつも受け取っていました。

自己否定的な選択は世界にとっても損失だ

そして、心の中でそんなの間違っている、内向的なことに悪いことなんてないのにと感じていました。でもそういう直感をずっと押し殺していて、こともあろうに金融街の弁護士になりました。ずっとなりたかった作家ではなく・・・。自分だって大胆さや自身をもって行動できると証明したかったというのもあると思います。そして賑やかなパーティに出かけました。本当は友達と落ち着いて食事したい気分の時でも・・・そういう自己否定的な選択をほとんど反射的にしていて自分ではそんな選択をしていると気づいてもいませんでした。そんな風にしている内向的な人は多くもちろん本人にとっては損なことですが、同時に同僚やコミュニティにとっても損失であり、大げさに聞こえるかもしれませんが、世界にとっても損失なのです。

なぜなら、クリエイティビティやリーダーシップという面で、内向的な人に実力を発揮してもらう必要があるからです。全人口の3分の1から2分の1は、内向的です。そんなにいるんです。みなさんお知り合いの3人か2人に1人は内向的だということです。だから、たとえ皆さん自身が外向的であったとしても同僚や配偶者や子供たちや今隣に座っている人は内向的かもしれません。その人たちは皆社会に深く根ざした現実の偏向によって不利を被っているのです。私たちはみんな、それを表す言葉を知らない。幼い時期から、自分の中に取り込んでいるのです。その偏向がどんなものかを把握するには、内向的なのがどういうものか理解する必要があります。これは病気とは違います。内気というのは、社会に判断されることへの怖れです。

内向的な人の才能を邪魔する新集団思考

内向的であるというのは、社会的なものも含め、刺激に対して、どう反応するかということです。外向的な人は多くの刺激を強く求めますが、内向的な人はもっと静かで、目立たない環境にいる方がやる気になり、生き生きとした能力を発揮できるのです。いつもそうとは限りませんが、多くの場合そうだということです。だからみんなが持てる才能を、その人にあった刺激の中に、身を置くということなのです。しかし、ここで偏向という問題が出てきます。もっとも重要な組織である学校や職場が、外向的な人向けに作られており、外向的な人にあった刺激に満ちているのです。さらに今の世の中に行き渡っている、ある種の信念体系があって、「新集団思考」と私は読んでいますが、創造性や生産性はもっぱら何か社交的な場から生まれるのだと考えられています。

最近の教室はどんな風でしょう?私が子供の頃は、机が縦横に並べられていて、ほとんどの作業を個人個人で自律的に自律的にやっていました。でも近頃の教室では、4人から7人ごとの席になっていて、子供たちは無数のグループ作業を次から次へとこなしています。思考力を単独飛行させて挑むべき数学や作文でさえ、その調子で、子供たちは委員会のように振る舞うことを期待されています。単独行動したり、1人で作業するのが好きな子は、はみ出し者とかさらには悪くすると問題時とみられてしまいます。教師のほとんどは、理想的な生徒は内向的ではなく、外向的なものだと思っています。実際には内向的な方が成績が良く、知識があるにもかかわらず・・・。調査結果によるとそうなんです。

同じことが職場についても言えます。多くの人が壁のない開放的なオフィスで、仕事をしています。絶えず雑音や他人の視線にさらされています。そしてリーダーシップが必要な役職からは内向的な人はいつも除外されています。内向的な人は注意深く、危険すぎるリスクを避けるという長所があるのに。もっとも、近頃では大きなリスクをとるのが好まれているみたいですけれど。

ウォートン経営大学院のアダム・グラントが興味ふかい研究をしています。内向的なリーダーは外向的なリーダーよりも、良い結果を生むことが多いというのです。内向的なリーダーは積極的なメンバーがアイデアを出して活躍できるようにする一方、外向的なリーダーは気付かぬうちに、なんでも自分で仕切ることに夢中になって他の人のアイデアがなかなか生かされないようになってしまうのです。

実際歴史上で変革を成し遂げたリーダーには内向的な人がたくさにます。たとえば、エレノア・ルーズベルト、ローザ・パークス、ガンジー、彼らはみんな、自分を無口で、静かな話し方をする、むしろ内気な人間だと言っています。そして彼らは表に立つ事を心底嫌っていたのにもかかわらず世の注目を浴びることになりました。そのこと自体が彼らに特別な力を与えています。人に指図したり、注目を浴びるのが、好きでやっているのではなく、自分が正しいと信じることのため、他に選択肢がなくてやっていたのだとみんな気づくからです。

誤解がないように言っておきますが、外向的なタイプの人はむしろ好きです。もっとも親しい友人の何人かは、愛する主人も含めとても外向的です。そして私たちはみんな極端な内向型から極端な外向型までの間のどこかに当てはまります。内向的・外向的という言葉を広めたカール・ユングさえ、純粋に内向的な人や、純粋に外向的な人というのはいなくて、たとえいたとしても精神病院の中だろうと言っています。内向型と外向型のちょうど中間というような人たちもいて両向型と呼ばれています。彼らは両方の良い部分を合わせもっていると思えることがあります。

どんな人を魅力的に感じるかというような一見個人的で、それと自覚することなく周りの人の見方に追従するようになります。グループというのは、その場の支配的ないしは、カリスマ的な人の意見に従うものです。優れた話し上手であることと、アイデアが優れていることの間に相関なんて、全くないにもかかわらず、ゼロです。だから・・・一番良い人のアイデアに従っているのかもしれないし、そうでないのかもしれません。

でも本当に運任せにしておいてよいのでしょうか?みんな1人になって集団の力学による歪みを受けずに自分独自のアイデアを考え出して、それから集まって程よく調整された環境で話合う方が、ずっと良いのです。これがすべて本当なら、なぜ私たちはこれほど間違ったやり方をしているのでしょう?なぜ学校や職場をそんな風にしたのでしょう?内向的な人が時々1人に、なりたいと思うことになぜそんなに罪悪感を持たなければならないのでしょう?1つの答えは文化の歴史的変遷の中にあります。

今の時代が求めるロールモデルは「優れたセールスマン」

西洋社会。特にアメリカにおいては常に「考える人」よりも、「行動する人」が好まれてきました。特に男性の場合に。しかし、アメリカでもその初期においては、歴史家が「品性の文化」と呼ぶ時期があって、人の内面や倫理的な清廉さが、重んじられていました。当時の自己啓発書を見ると、「品性の修養」のような題名がついています。そしてロールモデルとして出てくるのは、リンカーンのような、謙虚で高ぶらない人です。エマーソンはリンカーンについて、「自分の優位性によって人を不快にすることが決してない」と言っています。

しかし20世紀になると、歴史家が「個性の文化」と呼ぶ、新しい文化の時代に入ります。農業経済から、大企業中心の世界へと発展し、人々は急速に小さな町から、都市へと移り住むようになり子供の頃からよく知っている人と働く暮らしを捨て、知らない人の集団の中で自分の能力を示さなければならなくなりました。そして必然的に、魅力やカリスマ性のような資質が、突然重要になったのです。その結果自己啓発書も新しいニーズに合わせて変わり、「人を動かす」のような題名がつくようになりました。そしてロールモデルになっているのは、優れたセールスマンです。それが今私たちの澄んでいる世界です。私たちが文化として継承しているものです。

これまでの話は別に、社会的スキルが重要でないということではありません。チームワークなんか捨ててしまえと言っているわけでもありません。賢人を孤独な山頂に向かわせたたのと同じ宗教が、私たちに愛や信頼を教えているのです。科学や経済といった領域で私たちが今直面している問題は、非常に大きく複雑で解決するには大勢の人が手を携え協力する必要があります。

私が言っているのは内向的な人がもっと自分に合ったやり方で出来るようにすれば、彼らがそういう問題に独自に考え出してくれる可能性が高くなるということです。

私の模範は祖父だった

私のスーツケースの中身をお見せしましょう。何が入っているとおもいますか?本です。スーツケースいっぱいに本が入っています。マーガレット・アトウッドの「キャッツアイ」、ミラン・クンデラの小説、マイモニデス「迷える者への導き」でも正確に言うと私の本ではありません。この本を持ってきたのは祖父のお気に入りの著書の本だからです。祖父は、男やもめのラビでブルックリンの小さなアパートに1人で暮らしていました。そこは子供の頃私が世界で一番好きだった場所です。

1つには祖父の優しく奥ゆかしい存在がありましたが、もう1つは本でいっぱいだったからです。アパート中のテーブルも椅子も本来の役割を捨てて高く積まれた本の土台と化していました。私の家族のみんなと同じで祖父もまた、何よりも本を読むのが好きでした。でも祖父は、教会の集まりも好きでした。62年間ラビとして毎週与え続けた説教に、その愛を感じ取ることができます。毎週の読書から素敵なものを選り抜いて、古風で人間的な思想の繊細な織物を織りだしていました。そしてたくさんの人が、祖父の話を聞くために集まっていました。しかし、祖父の問題は、儀式場の役割を果たしながらも本当はすごく謙虚で内向的な人柄だったことで、説教をするときにアイコンタクトを取ることが難しいほどでした。62年間説教してきた、まさにその聴衆が相手であるのにもかかわらずです。

演台から下りてさえそうで誰かと世間話をしていても突然、会話を打ち切ることがよくありました。相手の時間を長く取り過ぎてはいないかと、怖れていたのです。でも祖父が94歳で亡くなった時、警察は近所の通りを通行止めにする必要がありました。あまりにたくさんの人が、追悼に訪れたためです。だから私も自分なりに祖父の模範から学ぼうと努力しています。

スーザンが呼びかける3つの行動

最近内向生についての本を出したのですが、書くのに7年かかりました。私にとってその7年は至福のときでした。ひたすら読書して書き、考え調査して書く、祖父が書斎で1人過ごしたのと同じ時を私も過ごしたのです。しかし、ここに来て突然私の仕事が大きく変わりました。人前で話すという仕事。それも内向生についてです。

私にとってはすごく難しいことです。皆さんの前に立つことはとても光栄なんですが、私にとって自然な状況ではないのです。だからこのような場に備えて随分と努力しました。去年はあらゆる機会を利用して、スピーチの練習をしました。今年は「危険なスピーチをする年」だと肝を据えています。練習はとても役に立っていますが、さらに私を力づけている。感覚、信念、希望があります。それは内向生や無口や孤独に対する人々の態度が劇的に変化する。一歩手前にあるということです。本当にそうです。この展望を共有して頂ける方に3つの行動の呼びかけをしたいと思います。

絶えずグループ活動をするなんてやめよう

1番目、絶えずグループ活動をするなんて狂ったことはやめましょう。すぐにでも。(笑いと拍手)ありがとうございます。はっきりさせておきたいんですが、職場では打ち解けたカフェのようなおしゃべりによる。交流を促すべきだと思います。人々が会って、思いがけないアイデアの交換をするようなやりとりです。これは内向的な人にも外向的な人にも素晴らしいものです。でも職場にはもっとプライバシーが、もっと自由が、もっと自律性が必要です。学校も同じです。子供達に、一緒に作業する方法を教えるべきですが、一人で作業する方法も教える必要があります。これは外向的な子供にも重要です。一人で作業する必要があるのは、それが深い思考の生まれる場所だからです。

自分の思索に耽る時間を増やそう

2番目、荒野へ行きましょう。ブッダのように、自分の啓示を見つけましょう。みんな今すぐ出かけて森の中に小屋を作り、もうお互いに話をするのをやめましょうと言うのではありません。そうではなく、気を散らすものから離れ自分の思索に耽る時間をもう少し増やしましょうということです。

あなたのスーツケースの中身を見せよう

3番目、自分のスーツケースの中をよく見て、なぜそれを入れたか考えてみましょう。外向的な方、スーツケースには、本がいっぱいかもしれないし、たくさんのシャンペングラスかスカイダイビングの装備が入っているかもしれませんね。それが何であるにせよ、様々な機会にそれを取り出して、自分のエネルギーと喜びを他の人に分け与えてください。内向的な方、性格柄きっと自分のスーツケースの中身を守りたいという衝動を感じると思います。それはいいんです。でも時々はスーツケースを開いて見せて欲しいのです。世界はあなたたと、あなたが持っているものを必要としています。

皆さんに最良の旅と自分らしく静かに話す勇気がもたらされますように。どうもありがとうございました。

[了]

/im0man

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