Facebookに「いやだ!」機能をつけたらこうなった。
非リア充副代表のいもまんです。
昨日久しぶりに顔本を開いてニュースフィードを覗いていた。
まったく開いていなかったからクリスマスや正月の投稿もたくさんあった。
たくさんの投稿の中、良い感じの写真とともに、「いいね!」待ち満々の投稿が目に入った。
「誕生日コメントみなさんありがとうございます!今年は〜」
といった投稿だ。
別に悪いわけじゃないけれど、「いいね!待ちしているな」と思う投稿は嫌いだ。
奴らは「いいね!」されることを信じて疑わない。
もしも、もしも仮に「いいね!」ではなく「いやだ!」ボタン。「Like」じゃなくて「Hate」ボタンがあった場合、どんな世界か想像してみた。
ーある日のリア充の投稿
「明日の夜は、都内でも有名なレストランで彼女とデートか。よし、Facebookにアップする用にいっぱい写真撮らなきゃな!」
WEB広告代理店に勤めるケンジは自分自身を輝いて見せることの出来るSNSで自己顕示欲を満すことが好きだった。
『明日はたのしみだねー、19時に銀座の◯◯に集合ね!』
彼女にLINEを打つ手も軽やかだ。
気分がいいのか、いつもなら使わないスタンプも合わせて送る。「合格」とウインクする地獄のミサワが顔を覗かせていた。
ー Facebook
ユーザー数がついに2,000万人を突破した国内最大級のSNS。
疎遠になってしまった友人たちにも「いいね!」と押すだけで、コミュニケーションが出来るこのSNSは、若者を中心に幅広い世代で利用されている。
オープンで強いつながりを作りたい、というザッカーバーグの思いが具現化されたサービスだ。
ー翌日、出社時
「おはようございます!」
ケンジは若手らしく元気な挨拶で出社した。
「おう、おはよう。」
先輩社員のタカシは前日寝ていなかったのか少し疲れた声で答える。
「おはうぃっす!先輩もしかして昨日は徹夜でオ・ア・ソ・ビですか?w」
大学ではテニサー、バイトは居酒屋、週末は合コンかクラブに出かけるという絵に描いたようなチャラ男のケンジはなれなれしい口調で話しかける。
「・・・ちげえよ。昨日はいろいろとネット界隈のニュースやブログ見てたらいつの間にか朝でな・・・Facebookが新機能をリリースしたんだよ。知らねえのか?」
少しイラついた表情を見せながら答える。
「ま〜じでネット好きっすね!w知らねうぃっす!w」
「お前・・・ポジティブだな。これみとけよ。」
LINEで、タカシからURLが送られてくる。
おそらく話にあがっていたFacebookの新機能とやらだろう。興味のないケンジは「見ておきまっすーw」と何故かLINEで返答して席を離れる。
ミサワが「及第点」と言ってこちらを見ていたがタカシはスルーした。
ー約束の時間
予約していた店に彼女と入り、スパークリングワインで乾杯をする。
上機嫌なケンジは乾杯の風景、振舞われる料理、彼女にあーんをしてもらっているシーンなどすべて写真に収めた。
『今日もこれでリア充アピールで、いいね数ゲットだな!』
食事をしながらケンジは心踊る。
ー帰宅後
帰宅したケンジは今日の食事について投稿するためにFacebookを開く。
選んだ写真は、彼女と一緒に料理の一皿を手に持ち、口を開けている写真だ。
「うまそー!」と下手くそなリポーターのような表情をしている。横にいる彼女は片方の手で頬を隠し小顔効果を最大限発揮している。
『よし、完璧。投稿、っと!』
ユーザーが最も閲覧する時間帯を見計らい投稿したケンジは、明日の朝いいね数を確認するためにスマートフォンを閉じ、風呂に入った後、そのまま眠りについた。
ー朝、通勤電車の中
ケンジは通勤電車が嫌いだった。辛気臭い年配のサラリーマンが自分のリア充オーラをかき消すと思っていたからだ。
そんな鬱々とした気分から逃れようと、昨日Facebookへ投稿した記事の「いいね数」を確かめることにした。
『30は固うぃでしょーね。』
心の中で謙虚な数字を出す。本当は100はいっていると思っているにも関わらず。
いいね!:4 いやだ!:104
いやだ!:104
ケンジはあまりにも突然のことで、理解が出来ない。
唯一理解出来たのは、自分自身のリア充オーラが一気に曇っていくことだけだった。
ー2日前
「Facebookから、新たな機能がリリース!これは賛否両論が激しいのでは!?」
ネットニュースでは、そんな見出しの記事で賑わっていた。
オープンで、強いつながりを目指すザッカーバーグはさらにオープンにするため、ネガティブな感情もFacebookで表現出来るようにしたのだ。
それが、「いやだ!」機能だった。アイコンは「いいね!」が逆さになっている形、つまり握った拳から出した親指が地面を向いている。
「もっとオープンに!」
そう言いながら、いやだ!ポーズをとりながら満面の笑みで立っている創始者の写真が至るところでシェアされていた。
ー現在
ケンジの顔は青ざめていた。「いやだ!」機能を押した人物が誰なのか特定しようとしていたが、そこには「いやだ!を押した人は匿名です。」とメッセージが書かれていた。
そう、「いやだ!」は匿名性で、誰から「いやだ!」を押されたのかわからないのだ。
『くそくそくそ!だれだ誰だダレダダレダダレダ!』
ケンジは悔しがりながらも、唯一「いいね!」を押している者が誰か確かめていた。
そこには、いいね数を稼ぐために無理やりFacebookを始めさせた両親と自分自身のいいね!、そして中学校以来全く連絡も取っていないクラスメイトからのもののみだった。
そして数分後にそのクラスメイトからの「いいね!」も消えていた。
今までのケンジに対する「いいね!」はみんな嘘だった。
常にリア充投稿しかしない、自己顕示欲の塊のケンジの投稿にイライラしていた者たちが「いやだ!」という機能が追加されたことで、これまで押し殺してきた本当の気持ちをぶつけ始めたのだ。
匿名性という盾で身を守りながら。
「なんでだ、なんでこんな機能なんかつけたんだよ!俺のこと本当はみんな嫌いだったのか!?うざかったのか!?ぅ、うわぁ、うあ”あ”あ”ああ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!」
ケンジは会社にもいかず、駅のトイレで泣きわめいた。
ボタン一つ。
たったボタン一つで、一人のリア充を壊してしまった。
Facebookの創始者ザッカーバーグは、世界をもっとオープンにしたいと言っていた。
しかし、人のネガティブな感情までオープンにする必要はあったのだろうか?
人付き合いの上で、「クローズド」な内容も恐らく必要なのではないか。
新機能リリース直後のニュースでは、コメンテーターの誰かがそんな発言をしていた。
ーカタカタカタ
「・・・ざまあ。先輩の言うこと聞かねえからこんなことになるんだよ。」
電気も点けていない部屋で、リンゴマークが刻まれたパソコンに向かい、キーボードを叩きながら呟く男が一人。
<このリア充をFacebookの新機能で月に変わってお仕置きしませんか!?>
そう書かれた巨大掲示板のスレッドには、ケンジのFacebookのURLが貼り付けられていた。
/im0man